2013年1月13日日曜日

三訓五戒


今日の日記は少しだけ精神論のお話。

桜隊メンバーども。よく読んで欲しいと思う。

私が若かりし頃、当時勤めていた職場の大将にこっぴどく怒られ
『明日までに読んでこい』
と渡された文面に書かれた内容。


三訓五戒

三訓
一.己を捨てよ
一.反省を忘れるな
一.最後までねばれ

五戒
一.けじめをつけよ
一.陰口をつつしめ
一.時間を守れ
一.言訳はするな
一.愚痴をこぼすな



何を突然と思うだろうが、今の私が在るのは
全てこの『三訓五戒』が精神として心にあるから。

全てを全てに対し守る必要は無い。

常に気に留めて全てに接しなさいということ。


言葉に含まれた意図も載せておきます。


/////一.己をすてよ(三訓)////

己を捨てることによって、人は無我となる。
無我とは、私心のないことである。
そこには、物事に対するこだわりや、
とらわれの気持ちがなく、自由な心がある。
このとき、英知がはたらき、創造性がたかまる。 
また社会生活の原理は、我人共に生かす、ことである。
本気になって生きようとすれば、利己心を捨てねばならぬ。
生きむ者は生きず、ともいう。
一粒の麦は、死して多くの実を結ぶ。
これは人生の逆説である。 
こうして、己をすてることのできない者は、
他人に感動を与えることもできず、
よき協力者を得ることもできない。
ましてや、新しい社会の変革者たり得るはずはない。 
捨てる、ことは、他人に与え、尽くすことに通ずる。
何を与え、どう尽くすかで、人の品性が造られる。        



////一.反省を忘れるな(三訓)/////

高慢、うぬぼれ、無礼な人間に、人は寄りつくはずがない。
利己心が強く、我欲にかられている者と一緒に仕事をしようと思う者はいない。 
こうした人間は、やがて孤立し、自滅するほかはない。 
しかし、人は、自分がそうなのなどうか分からずにいるから厄介である。
自分自身の行いを、静かに心に問うてみることをしないからである。 
失敗は成功のもと、という。
しかし、これは、その前に必ず反省がなければならない。
謙虚な反省があってはじめて失敗から数多く学ぶことができるものである。
そこで、反省は向上のもと、となる。 
人生には、順境のときも、逆境のときもある。
そのいずれにあっても、深い反省が必要である。
反省こそがたしかな人生を築きあげるのである。



/////一.最後までねばれ(三訓)////

西村栄一先生は、好んで、色紙に「根性」と書いた。 
根性のない者に成功者はいない。
志しが高ければ高いほど、前途に困難があるのは当然である。
これをのりきるためには、つねに目標を明確にして失なわないこと。
それに、何が何でもその目標を達成したいという願望を燃やし続けることである。 
目標と願望が結びついたとき、意思の力となる。
この意思は、目標達成寸前にいったても気をゆるめず、
また、一%の可能性しか残されていなくとも、最後までねばる。
そのときみずからの英知を信じてつきすすむのである。 
この姿勢を継続することにより、忍耐することを習慣化することが大切である。




/////一.けじめをつけよ(五戒)////

人は、みずからの運命をきりひらく資格と能力をもっている。 
それは、日々の生活における、一つのけじめによっておこなわれる。
どのようなけじめをくけるかは、
その人のもつ人生の目標、志しによってかわってくる。
つまり、それは生活の姿勢にある。
自堕落な生活をしていては、意味のあるけじめはつけられない。
けじめがないから自堕落にもなる。 
けじめをつける態度は必ずしも意識的に行われるとはかぎらない。
自分の決断について、その理由を言い現せない場合が多い。
しかし、そこにはらいているのは、英知なのだ。
そして、英和を汲みだす生活の「構え」が意義あるけじめをもたらすものである。



/////一.陰口をつつしめ(五戒)////

ねたみ、そねみなどの嫉妬の感情や、憎しみ、非寛容などの心から陰口は生れる。 
こうした感情や陰口が昂じ、また習慣になると、それが心の奥深く根をはり、
やがてその人自身をそのように支配することになる。
失敗や恐怖感を抱いている人が、いつかわそうした事態をを招きよせることと同じである。 
これらは、すべて、人間の強い感情のはたらきが深層意識をして否定的に作用せしめた結果である。 
憎悪と復習を根底にすえた独裁主義、
全体主義思想の運動家たちが、
お互いに猜疑心をもち、密告をつねとし、
ついには内部で棲惨な闘争をくり返しているさまは、
まさに、こうした心の作用のよらしむところなのである。



/////一.時間を守れ(五戒)////

時間を守ることのできない者は、自分自身をコントロールできない者である。
このような者に、人は、大事を託そうとはしないし、また、信頼も寄せない。
人間の生命には、時間的なかぎりがある。
だから、時間を大事にすることは、生命を大事にすることであり、
人生を真面目に考えていることになる。 
そう思えば、他人にとっても、時間は金銭にかえがたい貴重なものである。
相手の時間を守ることは、最大限相手を尊重することになり、
その約束を破る者は、相手方の人間性を無視したことになるものである。 
まずもって、計画し、コントロールしやすい一日という区切りを大切にし、
そこで精一杯生きるという習慣を身につけたいものである。   



/////一.言訳はするな(五戒)////

言訳をすることに関しては、みごとな人がいる。
まったく筋が通っており、成程と思わせるようなことをいう。
しかし、いかに、完璧に言訳が通ったとしても、
それが、自分の人生に、どうプラスになるというのか。 
言訳は、習慣となる。
ことを始めるとき、すでに、同時に、失敗したときの言訳を考えようとする。
これでは完成するはずはない。 
否定的な考えが、心の深層にある創造的英知の活動をはばんでしまうのである。
そして、言訳の方に自分が縛られてしまい、一度言訳をしたら、また次の言訳をつくらなければならなくなる。
言訳は、ぐっとこらえ、呑みこみ、それを踏みこえて、
建設的にものを考え、実行していくことの方が賢明である。 



/////一.愚痴をこぼすな(五戒)////

愚痴は敗北者のつぶやきである。 
愚痴からは何ひとつ建設的なものは生まれない。
また、愚痴をこぼしている人は、
どれほど多くの他人に迷惑と不快な気持ちを与えているか、はかり知れない。 
それより、人間が生得的にもっている心の深層の英知の泉をふさぎ、
その結果、心身共に病化させる方向にむかってしまうことの方がこわい。 
愚痴は、失敗や、不遇などからででくるものであろが、
そうしたこだわりや、とらわれの気持ちをふりすてて、
悠久な大自然と共に生きる心になり、
ここに漲っている無限の力を感じることである。 
そこで、明るく、おおらかに考えて、
そこで心を満たすよう努力することである。 
人生は畢境自己との闘いである。 

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